自堕落の先へ2
「番長代打ちせん?」
そんな電話を貰って3分後には家を出た僕は、原付に跨って目的地へ向かっていた。
パチスロがタダで打てる。
当時は、まだまだギャンブルによって脳を焼かれる前だったので自分のお金を減らさずにパチスロが打てるってだけで大興奮だった。
しかも、勝てば少しなりはお金をくれるだろうと皮算用的な考えで原付のアクセルはフルスロットルで現場へ走らせる。
自分のお金減らない、勝てば増える。
リスクゼロ。
これが必勝法か!とわくわくした。
ホールに到着すると、島図を見て番長の島へ直行。
そこには麻雀で宅を囲んだ、メガネ先輩がいた。
「お疲れっす。」
僕は、決してヤンキーという部類には入らないような人間であって、むしろヤンキーダサいかっこ悪いとか調子にのってた様な人間だったけども、何故か挨拶をする習慣は身につけてた。
なんで、ヤンキーっぽい人達って絶対にお疲れ様って言うんだろうね。
逆に、悪めの人達とつるんでる子達の方が礼儀正しいまである。
と、僕は思うわけです。
でもやっぱり謎。
「上にあるコイン使って、横の番長打っていいよー。200のゾーン近いし。」
ゾーン?聞き慣れない言葉だったが、ジャグラーとかとは違って光ったら当たりとかでは無くて、当たりやすいゾーンがあって、そこを回した方がいいとの事。
よく分かっていなかったが、打ちたくて仕方なかったので回す。
通常時は、番長が土手で寝てるだけなんだけど、200を超えると急に騒がしくなってくる。
「あ、消灯してから前兆ゲーム数を数えると楽しいよ??」
?????
今となっては前兆を把握したりするのは当たり前だけど、当時はなんのことやらって感じだった。
すると、ノリオとあっちむいてホイに発展。
からの勝利!
あっち向いてホイで骨折るやつおるんwww
みたいな感じで、演出の面白さに引き込まれてたかなぁ。
そこから念願の、操BB。
最高だった。
ラストジャックインする時までの、番長の帽子が置かれた机に、俯いてる操が最高に可憐で可愛かった。
今でもゲーセンとかで打つと、ずっと眺めてしまう。
俺の初恋だった。パチスロの。
後日談になるが、その後に操にハマり操のパネルや小冊子を部屋に飾りまくり、操の灰皿やグッズを並べまくる狂った部屋になってしまった。
俺のオカン、どう思ってたんかなぁ。
すまんなマッマ。
そんなわけで、そこからそこそこに連して1G連かましたりして出した記憶があってお小遣いに1万円くらい貰って、パチスロ簡単!みたいな典型的なアホになった。
「また、暇な時あったら連絡する。」
そんな言葉を、彼女からのメールを待つ高校生よりも楽しみにしていた自分がいた。
堕落の先へと落ちていく自分が。
こうやって、僕はパチスロに沈んでいったわけだ。
今でも、僕のパチスロの永遠のヒロインは操以外ありえないのである。
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